さよならの風景

何も終わっていないのに、唐突に何かが終わった感覚に陥ってしまった。
少し変わることはこれからは日本ではない国に住むことになるということだけだけれどそんなことは大して問題じゃないと思う。
いろんなものが中途半端なのが原因だ。
僕は本当にどうしよもない人間だから何もかもをやりきった試しがない。
大きいところで話すと学校だったり、小さいところで話すと昨日のお昼ご飯の片付けだったり。
本当に、どうしようもないんだよ。
向こうは冬だからと、コートを買おうと思った。
だけど僕はもう2週間以上ZOZOTOWNのページを開いたままだ。
終わってない文法書。
現像していない写真。
片付いていない部屋。
返していないメール、ライン。
書きかけの手紙。
譜読み途中の楽譜。
作りかけの音楽。
一時停止のままの映画。
読みかけの本。
精算できないままの思い出とか気持ちとか好きな人とか友達とか家族とか犬とか。
きっとこの世で一番中途半端な人間は自分なんじゃないかと思う。
まだ5000個くらいやりかけの何かがあると思う。
本当だよ。
何かをやっとの思いで解決しても、それはただのチェックポイントのようなものだったりしてずっと目掛けて走ったり歩いてたどり着いた先が大きな畑じゃなくて小さい、ビーチフラッグみたいな旗だった時はみんなどんな気持ちになるんだろう。
僕はそれがゴールだと3万年くらい勘違いしてしまうし、ゴールじゃないことに気がついても2万年くらい目指せない。
あまりに苦しいもの。
たくさんモヤモヤすることがある。
逆にもやもやしないことなんてこの世にないんじゃないかな。
それはそれで、いいことなのかもしれないけどそんな自分を好きになれるとは思わないな。
それでも僕を好きだと言ってくれる人は何人か、信じられないけど本当にいるみたいだし感傷的になることを認めてれる人がいることはカバンに折り畳み傘が入ってるくらい心強い。
こんなに気持ちが悪い全てとはさよならできないけど、こんなに素晴らしい風景とさよならすることは少し嫌だな。
友達は、人が亡くなった時にさよならはまた会うためのおまじないって言ってたけど何年かして僕がこの風景と再会する時にさよならの意味が少しでもわかると嬉しいなと思う。

それだけなんだけどさ。