seikatsu no nazo

みんな生活している。
それぞれがそれぞれの生活をしている。
素晴らしいと思うし素敵だと思う。
それぞれがそれぞれの傷だって持っているけれどそれを覆すくらい素敵なものを持っている。
私はどうだろうかと考えてみると何も見つからない。
一芸もなければセンスも才能もない。
それがないならないなりに見つける努力もしない、できない。
今日は卵がうまく割れなかった。
今日はご飯がうまく食べられなかった。
独り身の初老みたいで悲しくなってしまった。
なんで自分の良いところはないんだろうかと思うことは結構ある。
きっと探せばあるんだと思ってたけど案外見つからないものだった。
みんな優しいから「君には何もないよ」なんて言わないけれど。

やろうと思ったことができないし、後回しにしてしまう。
外せない予定があってもたまに寝坊するし、夜は眠れないし、自傷はクソダサいのに形を変えながら続くし。
今日は充実してたななんて思っても、その日を振り返ると空白の時間が多すぎて何もしてないことに気がついたりしたり。
この日記(?)を書いた日なんて起きていた時間が16時間くらいあったけど活動できていたのは8時間くらいでそれ以外は自分でも何をしていたのか覚えていない。
情けないな〜と思い、泣いてみたりするけれどあんまり意味はないなと思う。
これがデジタルタトゥーなのかな。
みんなはどんな生活をしているのかなとか思うけれど、いざ聞いてみたら対して興味も湧かないんだと思う。
だから友達がインターネットにすらあまりいないんだと思う。
みんな陰キャラとか自称してるけれどインターネットに居場所があるだけマシだと思う。
「本物」はインターネットにすら大した人数の友達はいないし、ゲーセンとかアニメショップにすら出かけられない。
パソコンすら眺めない。
ずっと天井を見ているくらいしかしてない。
そのくせに言いたいことはたくさんあって、現に意味わからないくらい長い文章を遂行も誤字脱字のチェックすらしないままただつらつら続けている。
「まずは何かを始めるところから」と両親にも医者にも言われるけれどそれは自分にはできる。
けどどうしてか、それが続かないし、それを少しでも良くしようと努力ができない。
面白いとか思っても突き詰められない。
甘えているだけだと思うけどどうしたらいいかわからないから結果死にたいとかいうクソダサい感情に辿り着いてしまう。
人生はこれからも続いていくし今日という日はもう2度と来ないし、もうすぐ18歳も終わるし、なんかよくわからない。
ほら、またよくわからないで片付けてしまう。
本当にどうしよもないと思う。
みんなはどうしよもなくないし素敵だと思う。
こんな根拠もない肯定を不特定多数の人間に向けている時点で僕はどうしよもないと思う。